境界から見る景色

はじめましての気持ち

特攻隊

長い間


ご先祖さまに、

想いを馳せる事がありませんでした。



多分、


最も直近の 先祖でもある


実の父母とも


両方の祖父母とも、親族とも


関係が、歪か、希薄だったから。





今、ここ、の繋がりが


微妙なまま


その繋がりである、先祖を敬えるか・・・


というと


難しい。




思えば、


父も母も、


自身のルーツに全く無関心な人達でした。


勿論、先祖供養も、無関心。



私も同じように育ったから


気持ちはわかる気がしました。


きっと


脈々と続いた、


負の連鎖の一部だったのでしょう



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そんな中で


きっかけが巡ってきて


祖先や、ルーツに


想いを馳せる事に。




向き合ってみたら


生き延びるだけでも必死で


大変だっただろう時代を生き抜き


命を繋いだご先祖さまを


それだけで十分


敬う気持ちになってゆきました。


続いた血の中に、


負の連鎖があっても


その中の


どうにもできなかった


仕方なさへも


少しづつ理解が生まれました



その理解は、


少し悔しいけど、


実父母へも


徐々に、


還元されていったのでした。


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最初のきっかけは


不思議な成り行きで


祖母が持つ事になったオパールの指輪が


祖母から母へ


母から私へ


託された事が始まりでした。


その指輪は


受け取る事を固辞していた


譲り受けたくなかった指輪でした。


もし母が、姉に託さず逝ったら、


こっそり母と一緒に荼毘にふすつもりでした。


その指輪が、


私のサイズに直されてやってきたのです。


呆け始めた母の焦りだったのかも。


何故、私なのか・・・


嫌だ、やめて、という事ほど


母は、自分の選択を押し付けて譲らず

こだわる人でした。


またか、と。


最後までか、と。


声も心も届かなかった事が悲しかったけれど


これも呆けてしまう前にできる

数少ない親孝行なのかも、と、


気持ちを切り替え


ならば、


ありがとう、と受け取り


心の底から、この指輪に対して


イメージを変えてやろう、


そう腹を括り


指輪に向き合ったのが、始まりでした。


それが、


ご先祖さまや、ルーツを辿り


心を開く作業に


繋がってゆく事になるとは


その時は思ってもみませんでした。


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子を持ってみて



母親の目線で


戦争を捉え


感じるものが


視野が変わりました。



近年の戦争だけではなく


この国の中でも


支配があり戦いがあり


今よりもずっと


生きる事は圧の中で生きる事であり

自由ではなく過酷だったでしょう


ただ、


差はあれども


今も、繰り返されているエッセンスで


その中で私も生きているわけです



血のつながりがある人の中に


特攻隊で散った方がいるという


事実に


想いを馳せる事で


立場を超えて


その生き様の中に


初めて、光を貰ったのでした。




特攻隊へ行った母方の親族の話は


昔から聞いていたけれど


私にはどこかモノクロなイメージで、


リアリティとは


かけ離れていました。


が、


その伝え聞きが、


子を持ち、


孤高に凸凹子育てに格闘してゆく中で


ゆっくりと


今だ、とばかりに


私に中でリアリティが生まれ


理解が生まれ


疑問も問いも生まれて


視野が広がってゆきました。




知って、感じた事へ


想いを馳せずには、いられなくなりました。




ルーツを紐解き出した頃


私は


両親、姉が


ただただ、


負の存在で 重荷でした。


許されるならば、


永遠に縁を切ってしまいたかった。


肩の荷を、降ろさせて欲しかった。




自分の中に流れる血が


心から呪わしく、


その血を、子へ繋いだ事も


子にも背負わせた事も


ありありと感じ、


新たな苦しみも生まれました。


苦しくて

怖かった。


でも、


子は、本当に愛しくて、愛しくて


これ以上、私が、この血を、


忌々しいものと思わないでいられる


何かを掴みたかった。


血の呪いから


自由になる解釈、生き方を、

選びたかったのです。


心から、


敬えるご先祖さまを1ミリだけでも、


ほんの一瞬でも


リアルに感じたかった・・・


私の中にも


光はあるはずと信じたかった。


そう、渇望した時期でもあったのでした。



思えば、この流れも


そう求めた私へ


ご先祖さまは応えてくれていたのかも。


感謝ですね。


お盆の間に、


想いを馳せて、書き置こうと思いました。



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特攻に行ったのは


私の母の歳の離れた、従兄弟でした。



母からは


背がとっても高くて、

スタイルが良く

ハンサムで

優しくて、優秀な


とにかく素敵な人だった、と


何度も聞きました。


何故、あんな人が、と・・・。



その従兄弟のお兄さんは、


ある時、帰宅が許され


真っ白な特攻服を着て帰郷し


親戚に挨拶をして回ったそうです。


母の家にも一晩、泊まっていったと。



それはきっと


出撃前の、最後の挨拶だったのでしょう。


心を固めさせる為の。



そのお兄さんを想うと


いつも喉の奥が重く苦しく


気を抜くと、涙腺が崩壊します。



そんな世の中にはもう、戻したくない。




最初は『親目線』からでしたが


本人の目線


国(司令塔)の目線


敵対国の目線


想いを馳せながら


視点は巡ってゆきました。



ルーツを辿る旅を始めて


最も、視野を広げ


理解する勇気をくれた血の繋がりの方が


特攻に行ったお兄さんでした。


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人間は複雑で


雑多な世界ではもう


争いは絶える事がないのでしょうか?


望むのは、馬鹿でしょうか?


でも、望むのです。



子がいなければ、


この世には希望は見えなくて


私の心は


ただ、快楽を追求するか


虚無な傍観者になっていたと思います。


でも、


子が生まれた事で


何かが変わりました。


未来を


少しでも変えたいと


願うようになりました。


そんなものなのでしょう。


子を産むという事は。


そういう役割を選んだって


事なんだと思います。


自然なのでしょう。


でも、


私が出来ることは


大きな平和を


何となく願う振りだけして


日常に戻ることではなく




小さな事、


今ここにある


率直さや信頼を育て


争いや

暴力や

黒い駆け引きや

身勝手さを


子に、手渡さない


周りの人に手渡さないという


ささやかなこと。




これも、供養だと


私には思えます。




お墓参りも


お盆の支度も


何もしないけれど


私は


心の中に、祖先の存在が入った日から


ずっと供養の気持ちで


生きているような気がします。




初めて、「心」が繋がった


血の繋がりのある血族は


もうこの世にいない方でした。





私を、血の呪いから解放してくれた方へ



私なりの供養です