境界から見る景色

はじめましての気持ち

深層を覗く




表題を表示するのはやめました。


深層を覗いてみる気がある人だけ。



https://note.com/nakamuraclinic/n/n677517c73b57


これでも入り口です



いつからかな





腑に落としたくなかった世界を


感じていたのに


逃げていました


3、11以降は確信に変わりましたが。


それでも


恐ろしくて


構造をはっきり自分に落とし込む勇気は


まだ持てませんでした




今回の騒動が始まって


そうするしか無くなって



疑問を


追ってゆきました




追って行っても


堂々めぐりになるのは


これを仕組む理由に


私が受け入れている世界観では


納得できないから。




私の知っている世界が正しいと思っている間は


腑に落ちないのでした





多分、無意識の大多数の人もそうでしょう



そこが


腑に落ちないと


逃避の分岐点として、


機能してしまうのです





でも、


もし、


それ以上の


私達に隠されてきた


何かがあるとしたら?





それがある事の方が


辻褄が合う。



指し示しているのです



でも、


仮説があっても


それこそ信じられない。


信じたくない。


そこで、


思考は止まるのです。




私も止めそうになりました。


あり得ない。


何度も止めて


何年もかけました。




でも、事実の


流れをずっと追いながら


情報を見続けると


指し示すものが、やはりある。






多くのことを


隠す事は


事を運ぶには


最大の利点だったのですね




自分が持っている幻想を


手放して


可能性をみたら


パチっとピースが


はまってゆきました。





信じられないけど


一年前の自分が


今の自分を知ったら


少し驚くだろうけど




アンテは📡は


確信し始めています。


きっと感じたものは


あるのでしょう。




自己顕示欲や


承認欲求にまみれた虚言、


都合のいい妄想が


周りに張り巡らされ


それも直視する作業の逃避材料にされるけど



そんなのは、


どこにも


わくものです。




その奥


その奥にある事の


真実をみたい




どんなに複雑な事も


挙動は、単純です。


法則は同じです。



子どものように感じて


眺めて


信じていい。




もっともっと


壮大な


伏せられてきた


何かがあった。



極まってきた世を眺めるたびに





伏せられてきた事の




深淵に


可能性が生まれている事を


信じたくなります。