境界から見る景色

はじめましての気持ち

歳のとり方

家系を感じる時


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歳を重ねるほど


心が


成熟してゆく人と


崩壊してゆく人がいるけど



うちの実家の家系は


崩壊してゆく人達だ


父も、母も、姉も・・・


特に母方は皆、そういう道を歩んだな・・



考えてみたけど


壊れる姿は、解放ともいえなくはないな




回復を願う魂の(深層心理とか)


辿る過程だとしたら、


抑圧されていたものの解放は


必須なのだから


魂的には 


きっと成功でもあるんだろう。




身近にいる人間は


ただ、やり切れないけど。





無意識に生きるなら


熟年デビューが流れの遺伝子なのか





解放が悪い訳では無いけれど




関係の中で生きているのだから


自閉的な解放は


持って生まれた『業』に、


更に、『業』を重ねる行為になって


堂々巡り。


脈々と


抜け出せない連鎖の輪 (DNA)に。



たった一つ


たった一つに


勇気を出せたら


全てがゆっくり動き始めるのに




尊厳を


捨てているのは自分達だと


自分の価値を


低くしているのは自分だと


気づかないまま


きっと生を終えるんだろう。


父も、母も、姉も



でも


そんな人は


たくさんいる。




起承転結が苦手で


起承だけの人生で


途上で終わっちゃっても


それが不正解なわけじゃない


そういう人生を選んだっていうだけで。




ただ私は、やっぱり、やり切れない




私にとっては全てが反面教師だった


私が天邪鬼だったのは


卵が先か


鶏が先か


もう分からない。


でも、


一つだけ言えることは


自我が確立されていない中で


魂を守るには


天邪鬼になえらざる得なかったというのは


よくわかる。




父母の「敵」に設定されたのも


彼らにとって


乳母に(他人)に、


心を許し過ぎ、


心が繋がり過ぎて


異なる世界感を持ってしまった


私に感じるものは


自閉スペクトラムの人達にとって


許しがたい脅威だったのだろう


危機感や


嫌悪


本来なら子に向けるべきものではないものを


彼らは、自分を疑うこともなく


親になる意味も理解せず


子に向ける選択をしたことも


今ではわかる。



そのボタンの掛け違いは


私にとっては、悲劇でもあったけど


深い救いでもあったと、


今ではわかる。





何かが違ったら


私達はもう少し、


違う関係性だったのか?と





寂しさなのか


後悔なのか


よくわからない感情がずっとあった。


言葉にできなかった。




彼らの過去の行いの全てを


流す、と決めて


今を必死に生きても


何故か人生が動かず


何かが自然じゃないから?と


薄々感じていた。






決断出来ず苦しんだけど


感情の整理も


心の整理も、ついてきた




そろそろ、


お役ごめんで、


父母を手放そう。






ニュートラルになって機会は手渡した。


でも、巡るものは・・・なかったな。


これが現実だった。


それを受けいれるのが


多分、今の流れの中で


自然で、


私が最も勇気を出すべき事なのだろう。



もう、私が私を守らないと。





ご褒美、何が欲しいかなって考えてみて


あまり考えた事がないから


どれもリアリティがなくて


しっくりこなくて・・・


一番はやっぱり


我が家の家族が、


健やかでいてくれる事なので・・・


今が完璧ではなくても十分ありがたく


もう叶ってるかなって・・思っちゃって💦


出てこなかった。



いや、違うかな




これ以上望んだら


最も、大切なものを


バーターで奪われるかもって


感じているんだな。




きっと、


これも 私の傷。


彼らからの負の遺産。



今は、これを知ることが


等身大。



あ!



ご褒美に欲しいです!って


願えるもの見つけた!!!!



『父母が、気にいって過ごせる、

老人ホームを見つけられますように!』


これだ!


うん、自然。


私の中に抵抗がなくて


リアリティもある。



幸せは願うよ


その場所で。





頑張っても空回りして


何度心を洗っても


人生が動かなかったのは


これかな


やっぱりこっちか。



でも


今までの私が


嘘だったとは1ミリも思わない


それは確信がある


私の中の最善に触れて


向き合ってきた



でも、


父母にも


人生に宿題のやり残しがある。


だから


私のペースではもう


交わることはないみたいだ




私の中に


彼らに対する消えない負の想いが


ある事の自覚はあるし


それが


消すことが必要とも思っていない。


出来なくてもいいと思っている。


私はその負を


幸せを掴む土台にしたから


天邪鬼の利点だね。




だから


そのままで


ありのままで


最善の気持ちに、触れる挑戦をして


それは成功していたと


言い切れる




私の中にあるものが消えていなくても。



今に生きるという事に


集中したから




彼らが、


気まずかったんだ。





もし、


そこから、


父母が始めたなら


友達ぐらいにはなれただろうに。





彼らは、できなかった。



私の向き合う心に対して


感覚的に


父母は多分


「本当に私達を許しているのか?」と


試していたと思う




ずるいな





目の前で挑戦している私に


自分達が負うべきものも


背負わせて


なかった事にしたがっていた。





そうじゃなくて


今ここから


私と始める選択をして欲しかった。




まるで


『私達の事、本当に、100%愛している??』


と、子どもが親に試すように


試されていたと思う。





でもね、それは違うよ。





私は、あなた達を産んだ親でもなければ


あなた達からされた事を


忘れない存在なのだから。





それを、あなた達がするのは甘えで


私は、そんな嘘臭い茶番を


演じたい訳でもないし


嘘くさい茶番で


あなた達を気持ちよくしたいわけでもなく




私達の間に


真実が芽生える事に


賭けたかっただけ。




綺麗事など


私達の間にないのだから


今ここから、始めようよ!って


そういう切なる気持ちで


日々チャレンジしてきたんだよ。




でも、


彼らから返ってきたのは


どこまで許してるの?という


私達に愛情はあるの?という


お試しだけだった・・・




きっと今頃「やっぱり嘘だった!」って

勝手に憤って、でも安心しているはず


自分達の行いを


感じる事をしなくていいと思えて。


馬鹿だなって思う


切なくもなる



でも



もう、仕方がない。





最後に


親子になりたかったんだな


ただ、血が繋がっているという


負債だけではなくて


心が通いあう瞬間が


一度でも欲しかったんだ。





でも、


指し示される流れは


そうではない


それを真っ直ぐ受け入れたら




全貌が、ただそこにあった。





昨日、父はまた問題を起こし


訪問看護さんが収集できず


呼ばれて実家に行った。




昨日で随分、心は醒めた


はっきり決めた事を伝えてきた


同情は


消えつつある


それも自然にそうなった





年老いても


誰もが


自分は、自分が 


背負うのだな



ちなみに


この心の作業は


呆けても可能だって


私は悟った


記憶が消えても


想いは全て今にある


罪悪感


逃避感覚


自分本位に振る舞いたい衝動



今に全てある


ずっと見えていた


そこに向き合うだけ


記憶は関係ないんだよ



呆けても


最後まで挑戦できるんだって知った


ただ、


そこまで逃げた人は


そうそう、そこからの挑戦がないというだけで




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帰ってきて息子に手を広げたら


ハグしてくれた。




ちゃんと以前、教えたように


背中に回した手は、トン、トンと。




私が夜眠れず


身体を半分起こして


暗闇でボーーーっとしていたら


隣に来て


息子の手が


私の手にチョンと触れた


多分触れるように置いてくれた。


そのまま寝ちゃった息子



私は、苦しくても 


幸せだ。



旦那より


出来るやつだよ(笑)



もう振り返らずに


父母の手を、離す準備をしよう




そして


全てが終わったら


姉も。





自分で自分を、大切にする


その方法や


その時、必要な選択は




唯一じゃなかった。




正解もないんだな。




なぜなら


関係性の中で


心は動いてゆくから




それを含めて率直であるならば


答えも


変わる。





正しさ


ねばならぬ、は


もう捨てよう。




さようなら


昨日の私




決めたから


何かが動くだろう


これが私の率直さならば