境界から見る景色

はじめましての気持ち

就職した知人の凸凹君

知人で、


凸凹息子と少し傾向が似ている

大学生凸凹君がいました。


事情があって


お父さまが気づいたのは

大学生になってからでした。


それでも、


家族に受容され

環境に恵まれ


凸凹の名を纏う必要なく、

育つ事ができた


稀有な凸凹君でした。



私達が叶わなかった事を

体現したかのような凸凹君。


学ぶことの多い、


希望の光の凸凹君でした。



凸凹である事は知った方がいい、と

はっきり思う私だけれど・・・




偽りではなく、


凸凹君を受容できていて、

伸ばせる環境があるのなら・・・


凸凹と名前を付ける必要も、

凸凹だと知る必要もない、とも、


思っているのです。


大事なのはその子が伸びる環境であって。


その奇跡のような


道を歩んだ凸凹君でした。





凸凹君の家庭は少し複雑で


生きるのに皆、

必死だっただろう、時期があったはず。


その事情が


凸凹君のありのままを、

丸っと受け入れる土壌に

なっていたと想像します。


それは、無関心とはちょっと違って


どちらかというと


生きていてくれてありがとう、に近い、

愛ある受容だったはず。


凸凹君の、お父さんは、

叱った記憶がほぼないと、言っていました。


想像がつきました。


とっても優しい父さまでした。


凸凹君が不出来でも・・・

ちょっと人と違っても・・・

優しく穏やかな悪意のない凸凹君なら



あのお父さんなら、そう選択できるのかも。


そう感じました。


そのお父さんと似た

優しい凸凹君だったでしょう。





我が家の凸凹息子と違う特徴として


☆計算があり得ないぐらいに不得意だったと聞いていました。


でも、今は機械がありますからね。

職種によってはカバーも可能なはず。


他には、


☆いくつかの仕事を、同時にこなす事が難しい。(これは息子と似てるなぁ)


それでも


小学校、中学校と公立の義務教育を、

大きな問題なく終えています。


そこから、推測するなら


隠れ凸凹さんの中では一定程度、平均的に

能力を伸ばせた凸凹君だったと思います。



高校・大学は私学でエスカレーター。


友達もいて


大学生活中はずっと一つの飲食店で

4年間、バイトを勤め上げたそう。


ただ、同時期のバイト仲間が、長く勤めるうちに、色々な仕事を任され背負ってゆく中で、


凸凹君は、どうしても上手くできなくて・・・


店長さんの采配で、4年間変わらず、

接客・ホール担当だったと聞いていました。





それでも、私達からしたら


羨ましく、頼もしく・・・


可能性を見る


希望の光の凸凹君でした。




頑張ってきたはず・・・


周りも良い人に恵まれたんだろうけど・・・

彼も素直で受け取る力もあるんだろうな


色々コツコツ積み重ねてきたんだろう・・・




この先、このまま


平凡に穏やかに、生きていける事を


願っていました。






就職した、と聞きました。


とある業界の、接客業でした。


笑顔と人当たりの柔らかさを

買われたそうでした。




心から、エールを送る気持ちでした。



--------------------




それから5年近く過ぎて


その後の凸凹君の話を、

最近、久しぶりに聞きました。



とても、切ない話でした。



就職先の女性上司に

相当、やられたそうです。


精神を病んで鬱になり、2年程で退職。


凸凹君は、死を2度考えたそうです・・


(その後繋がった就労支援の方に打ち明けたそうです・・・。)


退職後、2年引き篭もり


その後、就労支援を受けて


『自分に合った働き方』を探り、


今は、職につき


心理的サポートを受けつつ、

社会復帰の途上らしいです。


働く、という積み上げたスキルがあったからか


凸凹君は よく働いていて


既に


一人暮らしの家賃含めて、全ての生活費を

自立しているそうです。


でも、


心は、まだ危うくて。




皆で、見守っているそうです・・・。


----------------


話を聞いて


あの優しいお父さまや

きっと似ているだろう凸凹君本人の


痛みや苦しみを想像して



女性上司を、


自然に、


私が呪ってやる、と ・・・思いました。




怖いですかね


でも私は、

今はもう、湧く感情に自由です。


ただ、自分を知ればいい。

全ての感情にジャッジはしません


良い感情があるなら

悪い感情もあるでしょう


良いものだけではなく

その両方に、同じだけの価値があると


私は思います。






その上司に湧いた気持ちは


偽りなくそうでした。





人の尊厳を、


簡単に、執拗に、


あやめる人が


この世には、たくさんいます。



その先に何があるか・・・の、


想像力も持たず。



これが現実・・・、と知っているけれど




呪わずにはいられない気持ちでした。




気持ちを感じたら



こんな想いは駄目だよね、とか

こんな感情は恥ずかしい、とか

無意味だとか



そう、感じるなら


それもそのまま


全部、続きで受け止めます。


その上で、


その気持ち全部を


無駄にしない!と、


思うのです。


味わった事の意味を自分に問うのです。




私達がこの事を、今、伝え聞いた意味を問い



私の責任とは?


何が出来る?と、


考えました。




この事を無駄にしないでいようと


夫婦で、様々な視野を


もう一度


話し合いました。






凸凹息子の進路に


必要な事、必要な選択

不要な事、不要な選択


それを


間違える可能性がある

自分達の中思い込み、観念とは何か?


自分達の中にある、壁は?


もう一度、正直に言葉にして分かち合い


話し合い


見つめました。



----------------



傷を負った凸凹君が、


自分に合った働き方に向き合い始めた事は


生き残りには


必然だったはず。




いつか凸凹君が


あの時が転換点だったなぁ、と


過去を穏やかに思い出せる日が


1日も早く来る事を・・・


祈っています。




きっと、彼はそうなれる。


そう信じています。



宗教で


『求めよ。』とありますよね。


あれは、真理でしょう。




彼は、求めたから


今、繋がった。




このままで、幸せに生きる事を。



もっと頑張らなければいけない

もっと社会で揉まれる必要がある


いいえ。


ある種の人には、それは不正解です。



足のない人に

走れと言っているようなものなのに


見えない人は、そう言うのです。




活かされる場所でなら

十分、頑張れる。


そこまで育ったなら、


それでいい。


そうやって生きてゆく事を


心から、求めていい





違う場所に、もし迷い込んだら


引き返していい。






求めていい




ただ、違う世界に生きる事を




誰かのジャッジなど放り投げて