境界から見る景色

はじめましての気持ち

解放の部屋


【画像はお借りしました】





昨日は施設のチェックと管理に🚙💨

ぶーんと車を走らせて行ってきました。


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慣れた道の車の運転は、


無意識が上手〜く働いてくれるから


半分、瞑想状態で・・・



思いもよらない


古ーーーーーい、心の泡が (記憶が)


浮かんできては、


フワッと弾ける



とても大切な時間です。



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凸凹息子が、12年前程から


他県や、市外の幼稚舎や学校に通ったので


🚙 送迎をかね、学校の近くで働き


毎日、約数時間は


車の運転をしてきました。


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昨日は、運転中、


ふっと


私が小学生の頃に、

何度もスケッチブックに描いた景色が


思い浮かんできました。


(  あぁ、これは、今なのかな・・・)


そう思いながら


浮かんできた記憶と、対峙しました。



今でもはっきり思い出せる絵です。




描いた景色の中に、

1人だけ女の子がいました。


当時は、その女の子が

自分だとも知らずに。


その絵は、


無機質で、草木の一本もなく


空に突き出た、断崖絶壁で・・・


その絶壁の先端ギリッギリに


空に向かって


女の子が、


両手を何かを受け止めるかのように

広げて立っていました。


絵としてはほぼ、風景画


その中に、豆粒のように女の子がいました。


そんな絵でした。


何度も、


何度も、


描いた、情景でした。




今にも、女の子は


飛びこんでしまいそう・・・


でも、



向こうには太陽があって。


太陽へ向かって


両手を広げていました。




イメージとしては


映画タイタニック


船の先端で、ヒロインが

手を広げて風を切って立っている


あの感じの


断崖絶壁 バージョン☝️



残念ながら、


後ろで支えてくれる、


優しいイケメン、ディカプリオは


描いていませんでした(笑)


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あの頃、描いていた自分は、


ただ、その景色に


惹かれて、

惹かれて、

これだ・・・と


感じながら描いていて


苦しさを感じながら

描いていたわけじゃなく


どこか、乖離していました。


でも、今なら、わかる


苦し過ぎて乖離させてしまった


味わう事ができない

表現できない


心を、


絵で表現する事で


自分だよ、と

これを感じているんだよ、と


バランスをとっていたんだなと。



震災や津波の絵を


繰り返し描く子供たちに教えられました。


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私は、


長い間、


想いを、


言葉、言語で表現する術を、


持てませんでした。


持っていませんでした。



30才を目前に人生の棚卸しが始まり


どうしようもなくなり


初めて


自分を語る言葉を、探し始めました。





20年になります。



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昨日は、初めて


あの絵を描かなければ、いられなかった


当時の子どもだった私に


今の、大人の私が


やっと


寄り添えた気がしました。




涙が溢れました



この涙は、


今の大人の私ではなく


子どもの私の、涙でした。






今の大人の私が


過去の私を




宿題を終え、


時が来たら・・・


タイミングを「今、」と掴めたら・・・



救い

癒してゆける



自然な循環・・・




この車の中では



たくさんの「解放」と「癒し」が起きました。



私にとっては


車、という場所は


どんなセラピーよりも


完璧なタイミングをくれる


絶妙な仕掛けの、空間なのです。







人によって、それは



お医者さんや

カウンセラーさんに会う時だったり


セラピストさんに会う時だったり


するのかも・・・。



曲に入り込んだり


映画やドラマに入り込んだ時間だったり


するのかも・・・。



カフェにいる時間や


ウォーキングや


ジムやプールの時間だったり


するのかも。



山に登ったり


一人旅や、


ソロキャンプの時だったり


するのかも・・・



知れないですね。