境界から見る景色

はじめましての気持ち

会いたい人




TikTokの動画で


雪の降る中、


小鳥(野生のヤマガラ)を手の中に囲い


慎重に

何かを想うように


見つめ続ける


目がとても綺麗で印象的な少年。


高校生かな



そのキレイな目を


瞬きもせず


小鳥から離さず


手の中の山雀と、静かに対話していた


実はその時、

祖父の火葬が終わるのを


待っている間だったそう。


風貌と少しだけ、似つかわしくない

佇まいの理由があった



どんな経緯で手の中に小鳥が居るのか

分からなかったけれど


ガラスにぶつかって気絶したのかな・・・


様子を撮っていたのはご家族らしい


『きっと、おじいちゃんがヤマガラになって、大好きな孫に、最後の挨拶に来たんだね。』って


動画を上げていた。



・・・泣けた。


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動画を観て



住み込みのお手伝いさんだった、


おばぁちゃんを


思い出していた。




今だから、わかるけれど・・・


私は、住み込みのおばぁちゃんに

出逢えなかったら


全然、違う人生だったよ。




この世に生まれて


初めて、「私」を見つけてくれたのは


多分、お手伝いのおばあちゃんだった。





血が繋がっているとか いないとか、関係なく


愛したい人が


愛を欲している子に


手渡してくれた、愛だった




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私が2歳の頃に出逢い


おばあちゃんが、辞めさせられて


家を去ったのが小学2年の頃


情緒がおかしくなって

夜、眠れず

頭の中に響く音に、悩まされたけれど


耳を傾ける事や

興味・関心を持つ意味も

愛も、知らない


心を閉じた 


自分中心に回っている親には


打ち明けるほど


孤独になり・・

無駄だと悟り・・


親はいない事を、


受け入れ始めた時期だった


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小学3年の時、

不思議な事が起きたけど


あれは


苦しかった私の心が

創り出したものなのか


今でもよく分からない。



おばあちゃんは調子を崩し

辞めさせられたから・・・



去って一年が経った頃に


数ヶ月に渡って我が家に起こった


不可思議な事は



もしかしたら、


虹の橋に旅立ってしまった

おばぁちゃんが


挨拶に来てくれていた出来事だったのかな?と


大人になってから


思うようになった。



あの時は、


ただ、怖くて


混乱していたけれど。


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私とおばあちゃんの繋がりの深さは


母にとって、面白くないもので





それを、幼少期から察知していた私は


ずっとずっと、


黙ってきたけれど




何年か前に、母に


「お手伝いのおばあちゃんには、私は一つも嫌な思い出はないよ。矛盾した態度を感じた事も一度もない。凄い事だと思う。仕事ってだけであそこまではできないと思う。愛情深く接して貰って感謝してるよ。」


と、宣言した。


母は、お手伝いのおばあちゃんへの不満を

述べていて


そういう意見もあるのか、と思ったけれど。





いつ亡くなったかも


どこにお墓があるのかも


わからないけれど





私には


親以上に、親だった。






なぜ、こんなに深く繋がれたのか


自分の想い込みだけではない確信も、あって


少し不思議で




まだ記憶が鮮明だった頃の母に


住み込みのおばあちゃんの詳細を


思いきって尋ねた事がある。




和歌山の薬問屋の娘さんで、

裕福な方だったらしい。


この地方の老舗でわりと大きな会社に嫁いだけれど子に恵まれず、離縁されたとか。


かと言って、故郷にも出戻る事もできず・・・


養女を貰い、女手一つで育てたんだそう。


でも、どこで歯車が狂ってしまったのかな。


養女にした娘さんと、おばあちゃんは・・

折り合いが悪く疎遠になっていたらしい。


その頃に


私と出逢ったようだった。



その話を聞いて


納得できたというか・・・


切実が

切実を引き出したわけで


私に偽りなかった、

あの、おばあちゃんの優しさや愛は


養女さんへの


多分、懺悔でもあり


おばあちゃんが、

本当は、こうしたかった・・という


真実の姿だったんだろうな、と思った。




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うちの家政婦を辞める時、


クビにして気が引けた母が


養女さんに連絡を取って


身を引き受けてもらったそうだから

(これだけが救い)


あの頃の


私を真っ直ぐに愛してくれた

おばあちゃんなら、


最後の時に


養女さんと和解して


親子になって


旅立てたかなと



・・・信じてる。


いつか


あちらに行った時に


逢いたい人



今でも、思い出す


血は繋がっていないけれど


大切な人


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ちなみに、


私の父も母も


きっと凸凹人。


子を育ててみて、理解した。




環境があれば

手放せた、こだわりと


心の傷を


抱えたまま

手放せなかった


凸凹さん・・・



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子育て中に


凸凹子育て仲間のママさんから


「片親でも大変だろうに、両親とは。

ねぇ??一体どうやって、今があるの!?」と


今の私からは辻褄が合わないというか、

想像がつかない・・と言われまして

(DNAとして引き継いだ凸凹もあるだろうし、という意味もあったはず)


あぁ、そうか、と。



「・・私、他人に育てられたからかな?とにかく他所の人にたくさんお世話になったと思う。」


と、話したら


ママ友 「・・それだ!👆」と。



このママ友は


超天才凸凹君を育てていたママで

英語環境で一緒になった。


愛の選択、最優先。


飾らず率直で、


頭の回転が早いけど


人も、私も、よく見えていて


私も


多分、話したいように話しても

正確に理解してくれるだろうと、


安心できる人だった




凸凹の人達についての


見えているもの、考え、


選択の話をしていて


最も・・・刺激的な人でした。



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本来なら親と信頼関係を育む時期に


他人と繋がったメリットと


繋がった事で負ったデメリット


両方、今はわかる。



卵が先か

鶏が先かのように


良かったのか悪かったのか


結果論としての答えはないけど



私は、おばあちゃんに逢えて良かった


と、しか。



違うものに


救われる事があるのなら


違うものに


刺激され開花する事があると言うなら



私が、実例なんだろう、と思う



だからこそ


凸凹息子が、


我が家以外の人からしか、


受け取れない何か、で


伸びる可能性がある事に


目を伏せられなかったんだろうな




無意識だったけど


実感だったから


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今、


まさに今、


偶然、目に留まったセリフ




『母親を許せとは言わない


  ただ、恋しさが

後悔に変わらないようにな。』




寄り添った言葉だな


書き置きたくなりました。


なので追記