境界から見る景色

はじめましての気持ち

人相とか




滅多に占ってもらう機会がないですが


占いには、割と耳と心を傾ける方です。


何故なら、


脈々と続く体験的『統計学』、


だと、思うから。





「人相学」の占い師さんの使うアンテナ


「手相」の占い師さんの使うアンテナ


「占星術」の占い師さんの使うアンテナは


多分、少しずつ、違うのだろうなぁ〜






人より敏感で繊細なアンテナで📡


察知してきた、彼らの世界なのだろう。


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私は占いはできないけれど、


無意識に


人の顔から感じるものを


かなり重要視して


予測するツールとして活用している


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昨日は、仕事。


お客様と会った。




4月上旬、旦那の都合で急遽、

当日に私が担当に変更になり


お会いして、晴れて契約に。





その日は急だったので


用意をバタバタしながら


👩‍💼私「情報ちょうだい!横で喋って!読む暇ないから。」


と、慌ただしく説明を聴く


🧔旦那:「瞬間でいいからfacebook見て!伝わるものあるでしょ?」と、言われ


靴を履こうとしていたけれど、引き返し


PCを覗き込む👀


顔写真と流れをざっと30秒見る。


(((  あぁ💧 苦手かも💦 ))) 



了解!と、家を飛び出す。



けど、


会ってみたら、


いい意味で裏切られた✨





私内、統計学🟰私的人相学が、


揺らいだ一つの体験に。




さらに人相だけでなく

突き抜けて奇抜な方だったけど、


真っ当な人だった。


持っている世界が違っても

共通語を話そうとする心も配慮もある人。


話していて、


一般的な人以上に、違和感がなかった。


一部、クリアしていただく条件は残ったが

それも話を匂わせたら


理解を示してくれ


かなり迷ったが、

感覚的には私としてはGOだった。


私も


越えるべき壁で


繋ぐべき人だった。


そうできて嬉しい。



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もし、背負ってしまった


変えられない業があるとしても



それを塗りかえるように


今を生きている人もいる。



この世の


多様な世界の


統計から、外れて。


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人の顔、


目の横に微かに現れる表情とか


声とか話し方とか。


私の中に、判断する私内統計があるのは


差別ではなく


ジャッジでもない。




9割は当たる経験則で、


私の、生きる為の宝だ。


それを無駄にはしない。


が、


思い込みを外す、


準備も、心構えもある。





会ったり、


メールのやり取りをすれば


大抵の「人となり」は、伝わってくる




違うなら


今、この瞬間


私が変わればいいのだよね




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旦那と若い二十代の頃、

コンピューター占いをした事がある


占星術だったと思う。


観光地に行ったノリで。


残念ながら


かなーーーり、相性が悪く出た(笑)



でも、その時に


あぁやっぱり運命だ、と思ったのですよ




相性がとても悪い相手同士が、


うまくいっているって、奇跡だよねって


お互い、


無意識に必要を感じ、出逢って


勇気を出した。


で、


尊重しあって


工夫して、共同作業できているなら




うまく「業」に向き合っている証かも。



最短距離だ。




と、一瞬で、


ポジティブに確信した。




今思っても


ネガティヴな私には滅多にできない発想が


一瞬で生まれた事が、不思議なぐらいだった。



でも、



あの時確信したものは


今でも変わらない。




旦那と息子とは、


幸せな間柄だけではなく


正直、色々ある。



深く絡み合った『必然』🟰「業」も


感じているし


視えている



それを含めて、


信頼もあって


やっぱり運命だなと思う



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当時から『今、ここに生きる』という事を


模索して


模索して



今、思うのは、



「今ここに」生きるとは、


「必然に生きる」という事と


同義なのだな、と。



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旦那とは真逆な事が多く、


不都合な事も、多々💦あるけれど



私は


真逆なものに


意図されずに




伸ばされたものも多いし


癒された事も、多い。



この「意図されない」事が


私には重要だった。




私とは違うものを


理解しようとした時から


彼らの存在自体が


説教抜きの「師」だったのかも。




違う事が悪い訳じゃない


価値が違うだけ

選択が違うだけ

みえているものが違うだけ


そう素直に


理解する勇気をくれる


悪意がない人達だった。



私には、


一番可能性のある

組み合わせだったんだろう