境界から見る景色

はじめましての気持ち

ばななさん

キッチンとアムリタしか読んでいないので

ファンとは言えない人間かも?だけど


吉本ばななさんのエッセイには

色んな意味で支えられてきたと思っています。

エッセイへの反抗期もあって(笑)

読まなかった10年も含めて

反抗させて貰えた事を含めて

感謝しています!(笑)


何故、こんなに選択や状況が似てるんだろう?

何故こんなに彼女が紡ぐ言葉の先に見える視点に共鳴するんだろう?って


ずっと思っていたけど、


先日10年ぶりにエッセイを買って読んで

気づきました。

親が似た組み合わせなんだなぁって。

特に母君が私の母と似た方でした。


ばななさんの母君がご存命中の時は

老いていく母親へ湧く気持ちに、彼女は多分

精一杯真摯に向き合っていて、最大限に理解と愛する事への挑戦をしていたんだと思います。


公に出す文章には母君との色々を

全く具体的には語っていませんでした。


でも私は、彼女の文章の端々に(多分、彼女は母との絆が薄い人)と感じるものは、はっきりありました。そこが自分と似ているんだろうなぁとは感じていたけれど。

でも率直なエピソードは一つも語ってはいなかったから、予想でした


今回のエッセイで、

たった一つ語られたエピソードで想像のパズルのバラけていたピースがはまって全体像が見えた気がしました。


あぁ、やっぱり似た者だったんだなって。


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惹かれる、ピピっとくるって

偉大です。


それは、人でも、物でも、言葉でも音楽でも同じ。どんな細部にも魂は宿るんだなって、


ただ、思います


そして大事なのは

タイミングと相性


それだけですね!


ここ10年ばななさんの書いたものを

一度も読みませんでした。


10年前、もうお腹いっぱい、この波長(世界)はもう今はいらない、と感じてしまったから。


でも、縁があって10年経って新しいエッセイを読んでみたら、また違いました。


波が重なる時がきたのかな。

そんな気がしています。


興味を持って読めるものがあるというのは

嬉しい事です。


更年期で抗う事の難しい

気力の低下があって

その風前の灯火の気力は

ギリギリの日常の生活維持と介護に

全部振り当てられました


でも、それだと自分が溺れちゃうんですよね

興味など湧かない。工夫すらする気力もない。


行動できていたのは

あれはなんだったんだろうなぁ?と

今もぼんやり追っています


その苦しさも実感しました。


介護の苦しさの質が少し私は

一般とは違うとも知っています


ばななさんのエッセイを読んで

微かにみえる親の介護に対する

彼女の立場からの挑戦や、真っ直ぐさ、


看取った後の彼女の心のありよう


それがエッセイを読んで

重なって仕方なかったです


今日、いつもの朝の会話で

呆けた母は


自分が私にしてきた事を全て忘れ(呆けてない時も棚に上げて自覚をする気配もなかったですが)


母は自分の親に受けた、面白くなかった差別を堂々と私に語っていました。

「私の息子は恵まれてる、行きたいとこに行けって言って貰えるんだから」と


ぐるぐるしちゃいました・・・

自分が私にしたことは忘れて

私の息子は幸せだ、と。

これって、褒め言葉なのかな?

なんだか一個とび抜かしてる言葉があるはずなのに、そこには触れない。


永遠に自分はゴミ箱で

透明人間だなと感じる瞬間


喉から負の言葉がが出そうでした。




でも、生涯、謝罪も労いも褒め言葉も

私は親から聞けないでしょう


もう諦めよう


人には階段を一段一段上がるように

心を浄化するステージがあって

急に10段上がれなんて

物理的にだって無理だもの

もうわかっているから


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人間は、無意識に生きると

やられたことをやり返すようにできているって

中学生の頃に自覚しました。


きっかけは部活です。


当時、何年も同じような人間関係のトラブルで

直前に最終試合に出れなくなる部活がありました。アホみたいに何年も続く負の伝統でした


私達の学年のその部活も

結局同じ道を辿り、3年最期の晴れ舞台に

出場できませんでした。


とても部活が厳しかった時代で、

上級生からされた事を下級生に返すのが

伝統のような世界でした。


私達の部活の仲間は今思えば聡明で

気付きました。「先輩にやられて嫌だった事をするのはやめよう」そう決めました。


随分、私達の部活は空気を変えられたと思っています。


人は、痛みを昇華せず抑圧し

その中で無意識に生きたら


必ず、誰かにやり返す人生を

生きる生き物だって


私は思っています


例外はないです


善人でもそうです。

思わぬところで出てくるの。


でも、悪意じゃなく傷なんですね。


外部に出せなかったら

自分を傷つけます

自分の身体を傷つけるんです

巧妙に。


でも、それも傷があるからなんです


それを知ってしまったら


知ってしまった人間の

苦しみが生まれました


やり返さない、と決めている私は

どうやってこれを手放したらいいの!?


私は自負がありました

連鎖は止めているという自負です


でも、今回はたと気づきました

身体には母が私にした事を

全部していたなって。


なんだ私も同類だ・・・


自負が崩れて

母と交わる際の理解へと

変えられた気がしています



そんな心の昇華の様子、

持ち堪える空気も

ばななさんのエッセイで感じさせて貰って


孤独が減った気がしました。


孤独を埋めるのも

大事な仕事です


現に今日は


母に突きつけたくなる気持ちと

母も受けた苦しみに寄り添いたい気持ちの


一瞬で二つが拮抗し揺れて


母を守る方を取れました


我慢ではなく

選べた事が

嬉しかったんです


親が欲しかったなと

ずっと思ってきたけれど


少なくとも自分が欲しかった親になれたのだから、もう、これでいいと思おう。


貰えなかったもの、与えられなかったものを

子に与え続けた日々でした



率直さ、認める力、持ち堪える力

解放する努力、その繰り返しです




皆んなが普通に当たり前にさらりとやる事の一つ一つが、私にはとても大変でした


でも、そろそろ巣立ちの準備にかかるまで育った我が子と、我が家の親子の関係性を感じるたびに、別世界だって思います。


宝物です


実親にはゴミ箱にされ、競争相手のように敵視?もされ1ミリも褒められた経験がないけれど


私がゴミ箱の役割を担わされた事で

彼らは救われたものがあったんだと思います。


ゴミ箱にされた人間が、

多分脈々と続いた血の連鎖を切ったのだから

もう少しぐらい褒めてもらってもいいのに

と、たまに泣きたくなる時があります。


姉は子を持ちませんでした。

私は理解します。

そりゃ、あの環境では

子をもうける選択はしにくいですから


私も本当に勇気がいりました。


認めて欲しい人には

生涯褒められない運命です

仕方がない、受け入れようと思います。


最近ですが、時々切なくなった時に

息子に、「充電!」と腕を広げるようにしました。


そしたらちゃんと照れっとしながら、ホワンとハグを返してくれるので、一つ深呼吸をして

切り替えています。


私は沢山の心の色をもう持ってしまったので

単純にはいきません。

ジタバタもします。

負の感情も湧きます

押し込めた時代が長かったから。


でも、それも全部 全部含めて

愛せたらな、と


願います