境界から見る景色

はじめましての気持ち

インタラクティブメトロノームと発達

インタラクティブメトロノームとは


こういう貼り付けって駄目なのかな?

説明を兼ねて。


ゲームみたいなメソッドです


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発達凸凹君な わが息子。


彼に有効かも、と誘われて

5年前?くらいに体験をしました。


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ちなみに息子は


IQは高め

聴覚優位で受動型

言語理解IQが優位に高く、

動作性IQが低い


でも、どの項目も基準より上


シンプルに「差」が問題なタイプでした。


発達の凸凹の問題は「差」なのです。



その子の検査の中で一番高い項目の数値と

一番低い項目の数値の差が


確か15以上だったか開きがあったら

一応、発達障害と診断されるんだとか


今も同じでしょうか?


発達の凸凹な子を持つ親御さんには

通じる説明だと思いますが


普通は、ちんぷんかんぷんですよね。


高いものを支えるには

地下に伸びる土台がいりますよね。


能力の構造も似ていて


自分の中に

高い能力と

それを支えるように低い能力が

同居している子供達が居るのです


例えば


自分よりかなり頭の回転の早い人が

目の前にいたら

ちょっと関わるのに困る感じ・・・

想像できると思います。


子どもも

自分の中で「差」が大きいと

自分の中で、混乱するんです。


表現できなくてパニックにもなるし


見え過ぎる、

感じ過ぎる感覚は、

表現や整理ができなければ


鮮明な情報ではなく

ただ混沌に映るのです


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インタラクティブメトロノームを

息子が受けた結果は


アスリート並み!と驚かれるものでした。

先生方に「このメソッドは必要ないわ〜」と。


かといって凸凹が消えた訳ではありません。

身体の動きもぎこちないものは残っています。



我が家は彼の発達の凸凹を支えてゆくのに


肩書きだけの自称専門家とか

名前だけのお医者さんの継続したサポートは受けませんでした。


何度か繋がったけれど

良い出会いと思えなかったからです。



息子を受け入れ、観察する事と

ウィスクⅢの発達診断を受ける事、

息子の訴えに耳を傾ける事で


道を切り開いてきました。


正しかった、と断言できるものは

何もありません


ただ、私たちの現実に起った出来事に

心を開いて正直にいて、

魂を売らず、

勇気をだして選択したら


はみ出るしか、なかったのです。


そして導かれたように

必要なものや人と繋がってきた気がします


それはどう考えても後悔のしようがない出来ごとばかりだったので


運命のようなものだったと思います


用意されたレールの上で


もし、いい出会いがあったら

受け入れるのが正しいし

それが公のサポートなら

最も幸運だと思います


享受したらいいのです




でも、


当時、何人もの人に

頭から否定された


私達のはみ出た道も


私は、もう、間違いだとは思いません。


今思えば、十数年前の

私たちの市の発達支援の状況は

端境期で乏しかったです


あの頃は、情報も本も

今とは比べ物にならないほど少なく


この市にはまともな支援センターは1〜2ヶ所で

病院は数ヶ月待ち、もしくは予約受付停止中でした。


近隣に評判のいいお医者さんなどいなくて、

まともな親の会も生まれていませんでした。


唯一出来たての親の会は

事前に電話で入会審査をされ

主催者の一存で会員を選ぶ会でした


紹介者から繋げてもらって

事前にメールで簡単な自己紹介を送らされ

審査を受けるべく電話で話をしてみたら


会話と呼べる代物ではなく・・・


これは


主催者の潰された自尊心の回復や、

やり残しを埋める事が

何より優先されているようだと、


すぐに悟りました。


上に立ちたがる人

組織したがる人には

よくある事です。



はみ出るしかなく、選んだ道は違うけど、

共感できる人がいるはず、

参考になる事もあるはず、

学ばせてもらおう、

そう繋がろうとした時に出逢った主催者は


残念な人でした。


子は刻々と育ちます


この繋がりで集まる人々に

きっと私は会うたびに懸命に

理解されよう、説明しようとするのでしょう。

選択が違うだけ・・という意味を

理解できない、するつもりのない人が

きっとたくさんいるんだな・・


もう時間と心を無駄にするわけにはいかない、

そう吹っ切れて


親の会に

わざわざアクセスするのはやめました


それでも

等身大で、私達らしく選択して生きていたら


行く先で


凸凹な仲間とは自然に出会うものでした。

助け合える機会が巡ってくるものでした。


世の中はそうやって絶妙に回っているのでした



その過程で出逢った「子を活かす」事を第一に模索してきた凸凹君のママさんとの出逢いは


喜びでした。


何を選ぶか?が

人を分つ理由にならなかった。


その子の「個性」と「凸凹」は

それぞれ違うから、

絶対の正解などは無い

そう知っている人達だったからでした


違っても


深く共感でき、

ディスカッションが可能でした


本当に欲しかった仲間でした。



ユニークな子育てを、群れずに、

淡々と真っ直ぐ、「子ども」と向き合って

していたママ達には


たくさんヒントと

刺激をもらいました。


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もしあの頃の私のように、


八方塞がりで、

孤独で

通常のレールの上に光を見出せないのに


脅されたり

断定されたり

消費されたり


もう何が正解かわからない

苦しい気持ちになっている方がいたら



発達を促すチャンスは

色々な形であるんじゃないかな?

ということを


書き残そうと思い


今日はこのお題にしました。


全部を書き残すことは無理だけど

はみ出てみたら、はみ出た所にも活路はありました


向き合うところは

サポートしてくれる誰か、では

ありません。


お子さまです。


そこだけ忘れずに意識していたら


繋がる場所も

耳を傾ける「相手」も「時」も

子に必要な何かも


間違えそうになっても

時に、間違えても



いろんな道がある事が

少しずつ見えてくるかも知れません


何処かの誰かへ

エールを送る気持ちで書き残します


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前置きが長くなりすぎましたが



息子が凸凹の能力を伸ばしたツールの一つは

TVと「ゲーム」だったと思います。


息子には、です。


凸凹君達はゲーム中毒になり易くて


ゲームは「出来るだけ排除するべきもの」と

されがちな時代でした。


今でもそういう派閥はあると思います。

それが合っていれば、そのお子さんには

それでいいのです。


でも、私は


「ゲームは息子の可能性に繋がるもののはず」と、迷いながらも、


徐々に確信していきました。


理由は単純です


息子が惹かれてやまない世界だったからです


惹かれるものには理由があります。

絶対に、あります。


例えば、クレーンゲームは

空間認知能力を伸ばすチャンスをくれたし



DSのいろいろなゲームは

細かな指の動きや、タイミングを掴む事や、

合わせる事、連動させる動き、

ストーリーの理解など


様々なものを伸ばしてくれたと

感謝しています。



人が怖くなった頃には

人じゃない「もの」は

心の安定には欠かせないし


大事なきっかけでした。


限られた中で、懸命に

息子は伸びようとしていたと思います


定型発達の子ども達は、

子ども同士の外遊びや運動で

手に入れる事だと思います。

が、それはそれで、条件が整っているから可能なのだと、今は分かります。


当時は、同じようにその機会を凸凹の息子にも

与えようとして、様々な理由でそれが叶わなかったのです。


そういうコトも凸凹君にはあるのです・・


限られた中で伸びようと

彼の「本能」が見出したのが

TVやゲームの世界だったのです。



それを裏付けてくれるような

インタラクティブメトロノームの結果でした。



チェックして驚いた先生に

私の閃いた考えを述べたら


頭の柔軟な先生は


「わかるわよ!その通り。うちの施設にも太鼓の達人、買ったもの。」と



報われたような、理解されたような

じんわり嬉しかった記憶があります。


正解はないし、わからないままだけど


一つだけ

これで良かったなと思う事はあります。


ゲームを中毒にさせない模索の中で

雷を落とす鬼にもなった私ですが


彼が惹かれている事を


馬鹿にしたり、

悪い事だと思っているわけではない事を


ずっーーーっと伝えてきました


コントロール出来ない事が問題なのだと


それをできるように一緒に考えているんだと

はっきりと示してきて


息子にはその違いが

伝わっていったと思います。


それだけでも良かったなーーと思うのです。



自分の惹かれることを

親に馬鹿にされている、と感じたら


信頼関係の根幹に関わるはずです


それだけは回避されたかな。





ゲームやコンピューターに抑圧がない彼は


自由に、囚われなく

その世界を泳ぎ始めています。


運動神経が残念な💧彼が


これからこの世で生き残るには

欠かせない世界で、ツールで

体験だったとも思います。






他にも


はみ出て得た

凸凹君を活かそうとした世界での視野を


また機会があれば書いてみようかなと思います