境界から見る景色

はじめましての気持ち

凸凹君と英語❷




凸凹君あるある、ですが、


息子は『聴覚過敏』が幼い頃にはありました。



徐々に慣れて、今はこれといって

困っている事はないですが、


多分、今でも、大きな音や雑踏の中に

長い間いたら疲れとして現れるでしょう。





救急車の音は、赤ん坊の頃からギャン泣き💧


低い音も苦手で、目の色が変わる恐怖💧


スーパー銭湯などのボワンと音が

反響する場所も駄目だったし・・・


あとなんだったかなぁ・・・

一杯あったけど


もう随分、忘れてるな・・・💦


とにかく、様々な場所とシーンで

OK🙆‍♂️とNG🙅‍♂️がありました。






あの頃、息子には

どんなふうに聴こえていたのかなぁ・・・?


音は同じように聴けないから

共感してあげられないけれど


聴こえ方が違って、怖い、苦しい、

という事だけは、


理解しようと努めてきました。


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高校になって、


学校から春の検診で

病院に行って聴力検査をした時に


聴力測定の技師さんに


「君❗️めちゃくちゃ耳が良いね❗️久しぶりに、ここまで聴こえる人に会ったよ〜✨いやぁ凄いね✨」


と、言われたらしいです。


多分、他にも聴こえる人はいるはずだけど


大抵の技師さんは、正常値をクリアしたら、

流れ作業で測定を打ち切るから・・・


聴こえる人は一定数いるけど発掘されないだけだと思う。


多分その技師さんは、少年の心が残ってる人?


息子を面白がってくれて、ありがとう☺️



ただ、その件を聞いて


(まだ、そんなに聴こえてるんだなぁ・・・)と


今の彼の聴覚の輪郭を、知りました。


う〜ん💧疲れやすいはずだよね



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ちなみに


英語を獲得してゆくのに


この『聴覚過敏』は、有利だと、


私は思っています。



聴覚「過敏」と言われたら


なんだかアレルギーのようで病気みたいだけど




私は「能力」でもあると思っていて。





英語の音は


日本語の音より


使用される周波数がとっても広いので


過敏と言われる


聴ける耳を、最初から持っている事は


強みでもあるはずです。




よく、「英語の耳を育てる」って言われるけど


その真意は、聴き取れないものは

表現できないと言われているからだと思います


多分、聴覚過敏の子は


最初から、この英語耳を

持ってるんじゃないかな?


息子の伸び方をみて。勘です。



息子が通った中学の同級生をみていても

(英語の授業参観に行って)



リスニング能力の高さに驚きました。



個性豊かな子が集う、

ダイバーシティー実践の中学校・・・


お仲間も多いでしょう


公立小学校から入学してきた

通常ルートの子供達ばかりだけど



多くの子に、英語耳を感じました


リスニング能力と

リーディング能力の差が


もう、明らかに段違い❗️だったんです。


リスニングは、反応が早い、早い!


あぁ、・・・やっぱりなぁと、

腑に落ちる気持ちでした。



こういう耳の子達には、


動きがある場面での

複数人での英会話に触れたら


吸収力、高いと思いますよ。


ようは自然な環境ですね。



英語も


日本語と同じ


ただ


言葉なのだから。



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英語環境で感じた凸凹息子君への

メリットを書いてみます。




まずは音。


英語の音に日常的に触れて


多くの周波数を、

耳から脳へ伝えられた事。


私は、色々な過敏さを、


野生脳の暴走、とは解釈しずに


必要があって開花するしかなくなった

能力だと解釈します


ならば、


そこに可能性があるはず。


たくさんの音が拾える耳なら

たくさんの音を、本当は欲しているはず。



拒否したくなる音以外で

出来るだけ多くの音(周波数)を


聴かせてあげたいなと思いました。


音は(周波数は)

脳にダイレクトに響きます。


音ってめちゃくちゃ神秘的ですよ


私は、ある意味「音」は

脳の栄養だと思っているんです。


ピピっときた方は「トマティス博士」で

検索してみて下さい。


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他には、


言語理解IQが高く動作性IQが低い

息子タイプ限定(かも) のお話ですが


母語の日本語の「言葉」に囚われてしまって


心を動かせなくなり「がち」なんですね。


息子はいつも、ではなかったですが


緊張している外の世界では

特にそうなりがちな弱点がありました


例えば、保育園の年中さんになって

リンチのような虐めを受けていた時、


まだ気づく前に

真っ青なアザが膝から消えなくなった時期があったんですね。


先生にも尋ねましたが

シラを切られました。


息子はうまく言葉で説明できない凸凹君で、

把握が遅れました。


保育園には行きたがらなくなってはいたし

チックが始まっていておかしいな?とは

感じていましたが


ある日現場を見て、

が日常になっていたか知ったんです。


保育園の担任は、


そのリンチのようなイジメが、

本当は遊びではないと気づいていながら、


その「遊び」をやるなら砂場でやりなさいと


言ったんだそうです。


膝の青あざが消えないと、私が尋ねたからでしょう


砂場なら、青あざが残らないからです。


それからずっと


リンチをする側の飢えた子どもは

遊びだといいながら、


2ヶ月以上続けていたんです



息子は、攻撃性がゼロ


ただサンドバックになっていただけでした



先生に、


遊びだと言われたから

遊びだと思い込もうとして


ただ耐えていました


こうやって言葉に、


(大人のまやかしの正論に)


囚われてしまうんです


偶然、発見した時に


あぁ、もうここでは、この担任では無理だ

と悟りました。人間は簡単に変われません。


子どもはその間に育ってしまうんです。


味方になってくれた先生も

力になると言ってくれた親さんもいましたが


辞めさせると決めて、戦いました。


凸凹君のある種のタイプは


虐めを受けても、


「それが自分の役割なのだ」と

本当にそう思い込んでゆく、というのを


発達障害の本で読んだことがありました。


まさに、それが始まっていたのを知って


これは駄目だ

これは絶対にまずい・・・


本能的に思いました


自分の役割だと思い込んだ人間が

その後どうなってゆくか・・・


ものすごく、知っている気がして。



息子を虐めていた


同じクラスの男の子と

一個上の年長さんの男の子の2人が


多分イメージできないと思うけど


子どもなのに


もうすでにチンピラのような空気の子で


任せられる担任も望めなく、

信頼できる園長もいないまま


息子が一人で背負って

手に負える子ども達ではない、と


はっきり判断できて

ある意味、踏ん切りもつきました



これが一つ目の保育園を

辞めた時のきっかけでした。



ちなみに、年中さんで辞めたのですが


その年に、担任と園長が変わっていて


園の子ども達が、

急激にギスギスした時期でした。


子育て先輩のママが、


「以前、園長が変わって、子どもが荒れすぎて3ヶ月で園長交代した事もあるよ」と言っていたのが、


わかる、変化でした。



初めて凸凹息子が保育園に入園した


年少さんの頃は、


担任の先生にも

園長先生にも、


めちゃくちゃ恵まれました。


お二人とも退職と異動で

私達には、涙涙のお別れでした。


年少さん時代には、

お友達にも(息子を気に入って、連れ回して遊んでくれてた子は何人かいました。)


よくしてもらって


子ども社会に出た


最初の年が


あの保育園の、

あの年だったからこそ


うまくいったのかも・・・と思うほど


今でも感謝しています。




でも、どうしても


息子に吸い寄せられる


飢えた子ども達が

この辺りの学区に一定数はいて(駅近、雑多で)


その子達を、


担任の先生が


愛情を持って対応する気がなければ


彼らは彼らなりに、

自分達で生き残りをかけて

捕食活動をし続けます



守るものも、武器も

なにも持たない凸凹息子は


捕食される未来だけでしょう



どんな教育理論も

凸凹君達の前では、嘘くさくて




それが見えたから



どう息子を守りながら

成長させるかを


真剣に考えるようになりました






保育園を辞める最後の時に



息子とはその時、


直接関係がなくなっていた

年少と赤ちゃん組を統括する主任さんが


最後にびゅーーーっと走ってきて




門を出た私達に 駆け寄ってくれました。




年少さんの頃は、


直属の統括主任さんで


気がつくと息子を抱いていてくれた

優しい、息子も懐いていた先生でした。


きっと、先生には


陰でも


たくさんお世話になったはず。


涙で「ありがとうございました😢」と伝えたら



『実は自分の子どもが息子君と似ていたんです。とても息子君が可愛かったです。力になりきれなくて、今、これを言える立場じゃないんだけど💦


このタイミング、きっかけで(凸凹に)気づいて良かったって思う日が、絶対来ますよ!


あと、一つ!!!保育園で始まったイジメは、中学校まで続きます。どうか、小学校の学区を慎重に考えてあげて下さい!』


こんなふうに、


本当だったら


立場があって言わないだろう言葉を


最後に


一生懸命走ってきてくれて


打ち明けて下さった事の


重さを感じました。


悲しい出来事でしたが


偽りのない人の心に触れられて


道標の言葉をいただけて


ありがたい事でした。





ちょっと英語とずれましたが💧


こんなふうに


まだ「他の」能力が低く未熟なうちに


高い方の能力に依存して


言葉に囚われやすい傾向が出てきて


起こる困り感には




安心できる英語環境で


日本語の言語を一旦休憩させる事で


言葉以外のものへ


心を向けたり、

違うアンテナを使う


練習にもなりました。


それを、


外の世界でやる、という事が


この時期の息子には意味がありました




英語環境や


通常の幼稚園や保育園、

学校以外の居場所が


救いになった子どもとは?という


イメージの把握にはなると思い


こっちに少し書き残しておきます。


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英語環境と凸凹君の

組み合わせの妙というか


お互いの必要が、

どう出会って、


うまく回っていたか、という事を


書いてみたいのです。



海外文化に傾倒して

そこで子育てをしたい!とか


英語が話せるようにしたい


などという


立ち位置ではありません。


もちろん視野が広がった分


日本文化だけじゃなく

他の国の文化の


良い面と悪い面を


感じてゆく事にはなり

リスペクトするべき事はして

恩恵を受けてきました




凸凹息子が

健やかに生きられるように


選んできただけで


誰でも選べるとも


上手くいくとは

思っていません


が、


はみ出たらはみ出た場所には


似た子どもがいて


ある一定の子にとっては


選択肢の一つとして


機能していました。



その体験を


書き置いていけたらなと


思います。