境界から見る景色

はじめましての気持ち

色と心

長いです。お時間許す方だけで。



子どもを産む前、


とあるSOSの電話を受ける

ボランティアをしていた時期がありました。

一年研修を受け

一年電話を取りました。


その時、そのNPOの幹部をされていた

大学の教授に逢いました


人の「格」が全く違う、

ただ素直にそう感じる、私には別格の方でした


救いたがる人達は、私を含めて

問題を抱えていた人で、

実はまだ、同じように

問題を繰り返している人、でもあります。


教授はそこから突き抜けた方でした。


人間って、残念ですが


苦労をしたから偉いわけじゃなく

苦労をしたから優しくなれる訳でもありません


実は全く別の話だと知っています。


幸せに生きている人の中にも

人の痛みがわかる人が多くいます。

敏感な人はたくさんいます。


別、なのです。



自分を知って変わろう

痛みを誰かと分かち合う為に、『活かそう』


そう、継続して

自他に率直に生きなかったら、


変わりません。


気をつけないと


苦労をした事、

人生の痛みさえも

他者との関係で優位に立つネタにして


人生が終わってしまうのです



NPOの中でも、運営側に近い人達の中に、

その教授の控え目だけと格が違う佇まいに。無意識に競争心を持ち、妬んでいる人達が一定数いるのも、


すぐわかりました


足元にも及ばない人達でしたが・・・。


人の格とは


何を持っているか

どんな肩書きがあるか

今何をしているか


ではないですよね


少なくとも私の判断基準ではありません


どこで

何をしていても


みるのは『人をどう扱うか』


これ一点だけです。


その人の中に、自分も含まれます。

正確には『自他をどう扱うか』ですね


敬意もそこへ払います


いつもいい人、という単純なものではなくて。


教授は、


厳しさもありましたが

心を開いて相手と対峙していました。


言わなければならない事を、どこまでその人が受け入れられるか判断しながら、

自分の想いも誤魔化さず、

自他を尊重して最善を尽くし

言葉を選んで向き合っておられました。


その存在が、どれほど希望に感じたか。


人生で、「道標になってくれる人」に

何度か出逢い、


これからも出逢ってゆくと思いますが、


教授は確実に、その1人でした。


人は心を開いたものに

なってゆこうと努力するのです


電話を取るボラを終了させて


教授と深くご縁を結べませんでしたが

道標になる方と、出逢えて過ごせたことは


幸運であり

感謝しかありません


矛盾を感じない

稀有な、


人格者でした


どんな立派そうな組織にも

なかなか こんな方はいません。


そういう方でした



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その教授に初めて会った時に

気になった事がありました。


顔色が・・・とても悪かったのです。


私の経験則では、何か持病がある方の

顔色でした。


密かに慕っていた方だったので、

気にはなりましたが


時間が経てば耳に入る事だろうと

心にしまいました。


でも、教授は支障もなく活躍され、

誰も病気の噂をしていませんでした。


つい、もやもやして、

他のスタッフに『教授、顔色悪くない?体調悪いとか、聞いたことある?』と探りを入れても


『え???そう???』


と。何も感じないと。


私がこんなに確信する、

みえているものは何なのか


考えるようになりました。


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ある日、

悲しいお知らせが舞い込みました。


教授の旦那さまが急な事故で他界されたと。

とても仲の良いご夫婦でした。



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少し時間を置いて教授は戻ってこられました。


当時、教授が主催する自助グループの

託児のお手伝いをしていたので


その会に参加するために

少し早く会場の前の公園に着いて

待つつもりでした


公園について、どこで待とうか見廻したら

ブランコに腰掛けた教授が目に入りました。


物憂げで

寂しそうで

悲しそうでした


声をどうかけたらいいか

迷いました


唇を結んで緊張して近寄っていったら

教授から、早いね〜と明るく声をかけて

下さって・・・


私が「このたびは・・・」というのを


辛さを堪えた、微かな笑顔で

返して下さいました。


その時、

驚いた事がありました


教授の顔色が


全く違ったんです。


いつも私が見ていた顔色はどこにもなく

透明感がある顔色になっていました。


焦燥も

悲しみも

表情や立ち姿からも

全身全部で感じるのに


顔色だけは

消えたのです


ずっと考えて

あとからこう思いました


旦那さまの死が、

教授の『過去』の苦しみを

持っていったのかな・・・と


心と身体は繋がっていますから。


特定の感情や考えが

特定の臓器に負荷をかける傾向がある、とか


性格によって罹りやすい病気がある、とうのも


統計学上知られた事です。



教授が、ある人達を救う為のNPOにいる、

深い理由もきっとあったはずです・・・


懸命に突き抜けた

傷を


教授は語りませんが


その存在のあり方から

想像したのでした。



愛する人が逝った事故を通して感じた

驚き、恐怖、悲しみ、切なさは


教授の過去の心の重荷と


共鳴して


全て


追体験され、

燃やし尽くされたのでは。


解き放たれた感情は

身体の『滞り』も解放したのではないかな。


だから、顔色が変わった・・の、かも。





別れは身が切られる程の苦しみだけど


関係が築けた人とのお別れは・・・

愛ある人とのお別れは・・・


別れすら、

癒しに変わる事があるのか、と


感嘆と、

渦巻く複雑な感情と共に


理解したのでした。


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死相を見る人がいる、というのも

トンデモの世界ではなく


私には、何となくわかる気がします。



ちなみに、私には死相は見えません

見たくないと思っています


見える人がいても

教えてもらいたくもないです


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元々女性は、大抵の男性より

何十倍も「色」を見分けているらしいです。


例えば男性が見える「赤」が1色だとしたら

女性の見ている「赤」は12色とか


違いが分かるらしいです。


それは、子を守る為に発達したんだとか。

顔色の変化を読み取る為に。


納得です。


でも、自分の見ている色が

他の人が見ている色と違うとは


新鮮な気がしませんか?


でも、これって

本当は基本ですよね。

個々人は、違う個体なのですから。


だからこそ

他者と一緒である事を

一生懸命探して

共有して

共感して


安心したくて

群れるのであって


その心も自然なのだと思います。


そこから生まれる温かなものを

大切にできたら、素敵です。


でも、時に、

長く群れている間に、


個々は「違う」という事を

尊重できなくなるんでしょう


「違い」は無意識の不安を呼び起こすから



でも、私には


同じだと思える事の方が

今はもう、稀で少ないです。


違いを受け入れた上で

共感するスタンスを


模索しています



安易に人を判断する人は


他者が「違う事を想ってそうしている」とか

「違う景色がみえている」などと、


つゆとも思わないでしょう。


ある意味、


その感性を持って

生きてこられた事は


人生の得でもあり

幸せでもあったのでしょう。


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うちの凸凹の息子の自慢を一つします。


今日は『自慢』と、

あえて書かせてもらいますね。


彼が5歳になったばかり

年長さんの頃の話です。


私『私はこう思うけど、息子くんはどう思う?ゆっくりでいいから答えてみて?』と 


聞いたら


『僕はこう思うよ。でも他の人は違う考えかも知れないよ。』と返してきました。


・・・衝撃でした。


最後についた一文に、です。


たった5歳です


どれだけこの能力が、

人生の初期には 特に生きづらい事か、


自我を確立するまでに『障害』になる能力か


悟りました。


年を重ねても、


他者の気持ちを思い遣る、という作業に

取り組めないまま

かたちだけ取り繕って

この世を去る人も


たくさんおられます。


私はそれもまた、違う凸凹だと知っています。


身を持って痛感して生きてきました。


親がそうです。


凸凹なのだと理解してしまったら

Noとは言えても


責めきれない自分がいます


その生き方も、

生き残りをかけた模索の結果で


得た得も、それで守れたものも

あっただろう事を想像するからです。


でも私は、


その生き方に

ただ、興味がありません。


息子も、その世界にはいない事だけは

悟りました。


その才を潰さず守り、伸ばすなら


憧れた教授のよう、とまでいかなくても


そういう仲間と共鳴できて

一緒に生きられる人間には

育ってくれるでしょう。


私が守り渡せる大きな財産ではないかな・・


そう思いました。


それは、・・・叶いつつあります。



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色の話に戻しますが


その色の把握。


もっと多くの色を見分けている人も

いるらしいです。


多分私も・・・


特定の色に関してのみ


分類して見分けているのかも?

と、思ったりしています





今でもたまーーーに、

体験する出来事なのです